3rd Squadron
Pege-8
前ページの写真も含め、1991年に確認された事は、この時点でほぼ全てのF-1戦闘機の全面風防が、3分割から1枚ガラスの物に変更された事である。理由として専門誌資料に寄れば、低空で飛行する為にバードストライクに強い1枚ガラスに切り替えたとの事であったが、次世代のF-2が、同じ理由で原型となったF-16の1枚ガラスから3分割方式に設計変更している事を考えれば、やはり低空飛行を行う上での視界確保が主目的だったのでは思える。まぁどちらにせよ、この変更は1~2年で一斉に実施されたと思われ、1991年における三沢基地でのF-1戦闘機群に既に3分割風防は見当たらなかった。
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↑ F-1戦闘機は、機内燃料を除いて約4トンの火器等を携帯することが可能であるである。ASM-1ミサイル2発でも1.2トンであるから、理論上は増装タンクに空対空ミサイル2発なら、充分作戦可能な範囲である。
↑前ページからの連続写真であるが、2本のASM-1ミサイルを搭載したF-1 4機はタキシーをして列線に戻った。フライトを期待していたが、重いものを積んで離陸すれば燃費も悪くなるので、実施されなかったのだと思う。ASM-1は、三菱重工がプライム契約し、川崎や富士重工も協力して制作、レーダ誘導システムは三菱電機、慣性航法システムは日本無線、ロケットモーターは日産等が担当していたそうである。射程距離50kmと言うのは、フランスのエグゾゼ(50-70km)、西ドイツのコルモラン(40km)などの西欧諸国の同サイズミサイルと遜色のない性能であり、価格も1億円ほどと当時の要求を満たしていた。